管理人のpunikoK(ぷにこ)です。
私のプロフィールに興味を持って頂き、ありがとうございます。
私は、関東近郊に主人と2歳のぷにぷにな娘と3人で暮らすどこにでもいるようなアラサー主婦です。
でも、こっそり、ネットビジネス(ブログアフィリエイト)で月100万円を稼いでいます。
どうしてただの主婦の私が月に100万円もの収入をネットビジネスで得られるようになったのか、その秘密を私の生い立ちや経歴と共にプロフィールでご紹介しちゃいますね!
私のプロフィールを最後まで読んでいただけた方には、きっと貴方の人生を変える素敵なプレゼントをご用意していますので、是非、最後までお付き合いください。
Agenda
- 1.子供時代は世間知らずなお嬢さま~
- 2.就職氷河期に倒れて22歳で救急車で運ばれ入院!
- 3.外資系大手企業の営業になり3億円売る!と結婚
- 4.仕事は一生続けられるか不安ー
- 5.出産して人生変わる!娘との出会い
- 6.「歩かないで!」病院でドクターストップ!将来の見通しが不安で家庭内が険悪に!
- 7.「なんか、ネットビジネスって稼げるらしいよ。やってみたら?」の主人の一言
- 8.ぷにこ、ブログはじめました!
- 9.あれ、本当に稼げた!どんどん稼げた!!!もっと稼ぎたい!!
- 10.最速☆月収100万円を7カ月間で達成できた理由
- 11.最後のプレゼントとメッセージ
- 主婦のpunikoKが毎月100万円の収入を得ているノウハウを教えるメルマガ
1.子供時代は世間知らずなお嬢さま~
私、ぷにこは生まれと育ちは名古屋の出身。家族構成は両親と姉の4人家族で、2人姉妹の甘え上手な妹でした。両親は難関国家資格を持つ公務員で共働き、恐らく一般的に見ても裕福な家庭だったのではと思います。
そう、ぷにこの子供時代を振り返ると、まさしく
”甘やかされた裕福な家庭の世間知らずのお嬢さま~”
そのものだったと思います。
- 小学生時代は、ピアノ・書道教室・お絵かき教室・水泳に英会話教室と毎日習い事!
- 中学では、部活は弦楽部でチェロを弾き、友達が行くから自分も塾に行ってみたいとお願いしたり…。
- 高校では、吹奏楽部でフルートを買ってもらい(1年で辞めちゃった)さらには当時出始めた携帯電話もオネダリしちゃう…。財布はパパに買ってもらったバーバリー。
- 大学では、地方理系国立大学へ進学して一人暮らし!親の仕送りだけで貯金ができちゃうお嬢様生活。バイトは社会経験の為にやってみた程度。
実家にいるときは、週末は月1回クラシック音楽のコンサートにパパとお出かけ。高級レストランでお食事して、ショッピングでほしいものをなんでも買ってもらう日々。
ママもなんだかんだ「ぷにこは本当にお金がかかわるわ。ふぅ。」と言いながらも、結局はなんだかんだで私のお願いを聞いてくれるし、先回りして私が金銭的に困らないようにいつも行動してくれていました。
社会人1年目の貯金がない頃に「結婚式ここであげるの~。」といえば、「わかったわ。」といってポンっと300万円娘の口座に振り込んでくれました。
これだけ書くとなんだかイラっとされる方もいらっしゃるかもしれません…。
学生時代の私は本当に「世間知らずなお嬢様~」というふわふわした感じで、自分のやりたいこと、ほしいものは、なんでも親から与えられ・買ってもらえる環境が当たりまえだと思っていました。
そして、自分が社会人になり働くようになり、
さらには自分にも子供ができて初めて、
この
「親からしてもらって当たりまえ」
の環境が、どれほど恵まれていた環境だったのか、
ー両親は常に私の「やりたい!」という意思を尊重してくれて、なんでも私が自分で没頭できる環境を作ってくれました。(これは物理的や金銭的な両親の負担は大きかったはずです)
ー私の人生において「お金がないからできない」と言われたことは一度もない。
ー「バイトするくらいなら、勉強しなさい」と言って、大学生時代も勉強や部活動に没頭することができました。
そう、自分の生きてきた環境、この「世間知らずのお嬢様~」でいられることが、
いかに
「両親に感謝しなければならいこと」
なのかを実感したのでした。
2.就職氷河期に倒れて22歳で救急車で運ばれ入院!
そんな順風満帆に見えるぷにこの学生生活ですが、
大学4年生の春、ある日突然、人生観を変えるような大事件が起こります。
時は2006年、世の中は不況真っ只中で、就職活動の最も就職氷河期と言える時代に突入。
私もそんな時代の中、遅くまでエントリーシートを書いたり、一日に何件も面接を受けたり…。
受けた会社数は本当に何百社。けれどもなかなか内定がもらえない、「残念ながら今回はご希望に沿うことができず…云々」というお断りメールが届く日々が続きます。
恐らく、人生の中でこんなにも精神的にプレッシャーがかかる時期はそうそうないんじゃないかと思えるほどの重圧に耐えかねた私の体は、相当な身体的負荷もかかっていたようで、
ある日突然、
ちょっと休憩と思って入ったお店に座った瞬間、
体中が
ガクガクガクガクガクガクガクガクガクと震えだし、
40度の高熱を出して、ぶっ倒れました。
もちろん、呼ばれました。
救急車!(ピーポーパーポ~)
人間の体ってね、急激に40度まで熱が上がると、本当に”まっすぐ歩けない”んですよね。
救急車呼ばれただけでも、22歳の女子大生としてはかなり恥ずかしくて仕方なかったので、自分で歩いていこうとしたんですが、高熱で視界がぐわ~~~んと湾曲して、さらには足ももつれて座り込んで倒れたら立ち上がれなくなってしましました。
救急車って、ちゃんと担架で運んでくれるんですよねー笑。
これが人生初の救急車体験でした。
なんだか意識はあるようなないような状態でしたが、その後病院へ救急搬送ー。そして、さらに一度は検査結果も特にデータがでずに帰宅させられるも、その後、40度の熱は下がらずに数日間。さすがにこれは死ぬかもと思いタクシーで総合病院を受診ー。
血液検査の結果を神妙な面持ちで見る先生は一言、私に言いました。
「うーん。ぷにこさん、この検査結果だと家に帰れないです。このまま入院してください。」
・・・えっ!?入院????
当時22歳、地元を離れて一人暮らしの女子大生。人生初の救急車を体験したばかりでしたが、その後、特に病名などを何も告げられずにそのまま入院することになってしまったのです。
この時ばかりはさすがに私も不安と恐怖でいっぱいでした。
(その後、姉がお見舞いに下宿先の地方まで来てくれて、土日には入れ替わりに母親が来てくれました。実家の名古屋からは新幹線と電車で3時間の距離です。)
さらに、もっと不安になったのは、
担当医の先生に「私は一体、何の病気なんですか?」と聞くと、
「うーん、まだ検査結果のデータが出ていないので何とも言いえない。ご両親が来てから話す」
と、病名を教えてもらえなかったことです。
当時22歳の全く病気や入院とは無関係で生きてきた私は、かなりビビりました。
そして私の状態は、病名を教えてもらえないほど、深刻な状態なんだろか…?っと。
当時、4月頭の春がきたばかりの季節ー。
病院の中庭には大きな桜の木が一本、満開に咲いていました。
晴れ渡る青空に咲き誇る桜の木を、熱が下がらず、点滴される中、一人で見上げて、
「ああ、私、もうすぐ死んじゃうのかな…」
っと、真剣に思って涙しました。
結局は、その当時の入院は、細菌性感染症による発熱という内容で別に死ぬような病気ではなかったのですが、22歳という若さにして、この時ばかりは真剣に「自分の死」と向き合う経験をしました。
本気で自分が死ぬのかもと思ったんです。自分の今までの人生やこれからやりたかったこととか、両親や家族への感謝の気持ちとか、友達の大切さとかそんな当たりまえの日常がいかに大切なことだったのかを、実感として心の底から思うことができました。
そして、その後、私はこう思ったのです。
「人生、いつ死ぬかわからない。
だから、いつ死んでも悔いの残らないように、常に今この瞬間を全力で生きよう」
と、ここに常に何事もフルパワーで全力投球!!のぷにこが誕生したのでありました。
3.外資系大手企業の営業になり3億円売る!と結婚
そして、倒れて入院した私は、当時の就職活動を終え、周囲の薦めもあって、大学院に進学します。(もちろん、急いで院試の勉強をして、Top5位以内で面接パスして入学しました。)その後2年後には、再び就職活動に挑戦し、無事に3社内定を貰うことができました。
そして、そのうちの一社、大手の外資系企業に就職をし、6年間住んだ大学の地方から、上京することになります。
ついでに大学院生時代からお付き合いしていた今の主人とも24歳のときに結婚!
(上京するのが一緒のタイミングだったので、結婚はタイミングと勢いですよね(笑))
そして、なった職種は営業!
自分には、人と話す「営業」の仕事ははっきり言って向いていた。
職場の先輩もいい人が多くて、皆優しく厳しく教えてくれたし、凄い楽しかった!(もちろん、社内で泣くことも辛いことも沢山あったけどね)
「営業」ってただ物を売るんじゃないんです。
お客様の「課題」を聞き出して「解決」を提案するー。
- お客様とのコミュニケーション能力
- ソリューションをまとめあげる企画力
- 社内で提案をまとめるリーダーシップ
- 交渉力
色々な能力と、色々な職種の人と一緒になって案件を進めていく。そんな大変さと面白さが仕事にはありました。
そして、入社4年目にして、3億円の案件も契約!
(当時のボーナスは結構、凄い額でした…w)
4.仕事は一生続けられるか不安ー
しかしながら、外資系企業営業職も5年目になると、少し不安になることがありました。
それは、
「この営業の仕事って、子供を産んでも続けられるのかな?」
という不安です。
もちろん、外資系企業ということで、男女の評価は本当にフラットでした。なので、会社役員・部長・課長に至るまで、半数に近い人数の女性役職は多かったし、むしろ男女が同じ評価点なら、女性を昇進させるのが会社の方針でした。実際、私の上司も30代女性部長でした。
しかしながら、、、営業職では周囲にバリバリ働きながら、子供を育ててるママさん営業って…、あれ!?いなくないか!?
いいえ、もちろん子供がいながら働いてるママさん先輩たちはいらっしゃったのです。
しかしながら、うちの会社での営業とは、まさに最前線の戦場の場…、
- 佳境になれば、終電逃してタクシー帰り…下手すれば土日も休日出勤…
- 営業なので当然接待やら夜の飲み会も多数…
- 平日、まともに家でご飯作ったことがないような生活…。(旦那とはお互い別々に外食して帰宅)
もし、子供がうまれたら、18時に保育園に子供を迎えに行けることは可能なのか!?と、不安を感じずにはいられなかったです。
先輩ママさん達にきくと、
- お迎えは間に合わないから旦那・実家・ベビーシッター・ファミサポ・さらには民間の不認可保育園の夜間などに頼んで迎えに行ってもらう
- 仕事も間に合わないから、夜子供を寝かしつけた後の10時~夜中の3時くらいに起きて自宅で仕事をするor寝てから会社へ再び出社する
- 海外出張などの際は、ベビーシッターに自宅に泊まり込んでもらう
などと、かなりハードボイルドな回答が返ってきました。
そして、自分もそうなるのか?そうできるのか?が不安に感じられずにはいられませんでした…。
また、外資系企業の評価は非常に厳しいもので、役に立たないと思われた社員には本当にカタタキされて、2日以内に会社を辞めさせられる…。(そのおかげでか会社には窓際族といわれるような仕事をしてない50代のおじさん社員はほとんどいなかったです。うちの会社の定年は50歳wという噂もあるくらいですw)
3年以内にふと気づけば同期も半数は転職して辞めている…。
など、かなり激動と流動性の高い業界の、厳しい世界であったのもまた事実です。
何より、もともと体力に自信もなく、会社員で全力投球して突っ走っては、倒れて入院するという生活も続いており、既に会社員5年目にして、毎年1回は入院するというかなり身体的にも限界ギリギリな状態であったことは間違いありません。
5.出産して人生変わる!娘との出会い
そんな営業としても中堅になりつつあり、将来働き続けることを感じ始めていた入社6年目、私の人生で最も幸せな瞬間が訪れます。
それはずばり!
”娘がうまれたこと”
です。かわいい、かわいい、かわい~い、娘が産まれて、とても幸せでした。
出産時は、娘がNICUへ入院。さらに私自身も40度の高熱で1カ月間入院するなど、我が家の出産は、色々と苦労も多かったんですが、、、娘はすぐに4日間でNICUも退院し、すくすく元気に成長してくれていきました。
出産すると、女性は誰でも母親になりますから、人生観が変わりました。
今まで、自分の人生で「自分が一番大事!」な世間知らずなお嬢様だった私が、
初めて心の底から「自分以上に大切なもの」に出会った瞬間です。(あ、主人も大切だけど…)
この子(娘)を絶対に幸せにする!!!母は強しでそう心に強く誓いました。
そして、何よりも自分が両親からそうしてもらったように、
「子供には、無条件の愛情をもって育てる。
彼女がやりたいことができた際には親として全力で応援できる環境を整えてあげたい。」
と、私が親にしてもらったことは、全部、娘にしてあげられるようにしようと思ったのでしたー。
6.「歩かないで!」病院でドクターストップ!将来の見通しが不安で家庭内が険悪に!
その後、産休・育休で会社のお休みをいただきながら、赤ちゃんとの生活が始まりました。初めての育児ということもあり、毎日必死な日々ではありながらも、楽しい毎日でした。
深夜の授乳に乳腺炎、一日中だっこで寝かしつけ、急な発熱、手作りの離乳食、赤ちゃんとの外出も、大変ではあったけど、やっぱり赤ちゃんがかわいいので乗り越えられました。
しかしながら、
元々、体が弱かった私の身体には、負担も大きかったようで…。
少しづつ、少しづつ、溜まっていった負担が大きくなり、
ある日突然、
子供が8カ月目のハイハイで動き回る頃に、、
バキっっと右足が壊れたのでした~。
最初は、なんだか歩くと足が痛いな…。あれ、足首が曲げられなくなってきた?と普段あるようなちょっとした疲労がたまっているのかな…?と思っていたのですが、数日間休んでも一向に良くなる気配がありませんー。
そこで、総合病院へ精密検査を行うことになり、CTとMRをとりました。
検査が終わって、痛みを堪えつつ右足を引きずりながら歩いていた私は、さぁ、帰ろうかな?と思って検査代から降りようとした瞬間、
突然、病院の先生が慌てた様子でこちらに来て、
「ぷにこさん!!!!歩かないで!!!!!看護師さん、車いす持ってきて!!!」
と言われて、絶対に歩かないで!!!と告げられたのですー。
この瞬間、私は悟りました。
”どうやら、私の足の状態は、相当よくないらしい…”
詳しいことは割愛しますが、この当時は激しい痛みがあり、どうやら骨に穴が開いているようなヒドイ状態が僅か数か月間の間に進行してしまったー。ということだったそうです。
病名も病状も他に例を見ない症例だったので、最終的には専門医がいる大学病院へ紹介されました。そして専門医の先生に診てもらっても、いわれたのは「治るかどうかはわからない。ただ、脆い右足と一生付き合っていかなくてはいけないー。」と言われたのでした。
以降、まずは負傷している骨の回復を待ちつつも、なるべく足に負担がかからないような生活をするようにと言われ、
絶対に歩かないで!!!(できればずっと寝てて!)
赤ちゃんも立って抱っこしないで!!!
と、松葉杖と車イスがお友達の生活が始まります。
この時、子供は僅か8カ月の赤ちゃんー。
ちょうどハイハイをし始めて、目を離すとすぐにどこかへ移動してしまう、、だけど自分のことは何一つできないという、一番手のかかる赤ちゃんの時期です。
そんな8カ月の赤ちゃんと、歩けない&抱っこできない母親が家に2人っきり…。
・・・流石にこの状況には、途方にくれました。
もちろん、主人の協力と、義実家のサポートをもらうことで自宅に帰ることになりました。
・・・が、やはりそれにも限界があります。
急いで保育園への申し込みと一時保育の申請をだし、ベビーシッターやファミリーサポートにも登録。さらには家事代行サービスとありとあらゆる民間で利用できそうなサービスを色々と探します。
まぁ、その金額の高いこと高いことに驚きつつも、背に腹は代えられません。
だって、私一人じゃ買い物1つ行けないような状態なのですから…。
そして、私の足が治らないかもしれない…。
という将来の先行きが見えない不安で
周囲はなんだかギクシャクしていきます。
私自身も、自分では思うように動けない・家事も育児も満足にできないことに加えて、そもそも足が痛い…なんだか憂鬱な日々ー。
主人にいたっては、仕事・家事・育児のトリプルパンチの負担から、疲労困窮ー。
1歳近くになる娘は、突如として慣れない保育園生活が始まるー。
さらに、子供が1歳になったら私が育休を終えて会社復帰するつもりでいた家計生計にも不安が募ります。
元々、共働きをするという想定で、割高の駅前賃貸マンションを借りていました。
そこへ追い打ちをかけるように、私の足のケガによって、突如として発生した保育園費用やベビーシッターや家事代行などの大きな金銭的負担…。
DINKで5年間働き続けていたので、ある程度の貯金もあったので、今日明日困るというわけではないものの、これから負担が増えてくるであろう子供の教育費のことを考えると…。
最終的には、今後は「もし、私が働けなくなったら…?」という不安がよぎり、我が家の家計にも暗雲が立ち込めてくるようになりますー。
誰が悪いわけでもないのですが、日々の生活が必死でギリギリな毎日を過ごしていた為、家庭内がなんだかとってもぎこちなく、険悪な日々が続くようになりました…。
7.「なんか、ネットビジネスって稼げるらしいよ。やってみたら?」の主人の一言
そんなこんなで我が家の家庭内では将来への見えない不安の影が常につきまといながらも、日々は過ぎ、人間は順応する生き物ー。
私も右足に負担をかけずに家事をある程度はできるようになって主人の負担も減り、
娘ももうすぐ2歳、成長は早いものでできることも多くなってきました。
(何より自分で歩けるようになり、大人と意思疎通が可能になったのは大きな助けになりました。)
この頃は、娘の服を洋裁したり、100均一ダイソーで子供のおもちゃを手作りしたり(コッシーのイスも作りましたw)結構、自分の中で主婦生活も楽しんで過ごしていました。
少しづつ、今の生活に慣れてくると、
次第に不安になってくるのは、「私が会社に復帰できるのか?」ということでした。
会社に復帰するとなると、
松葉杖でフラフラ歩きながらも、
- 都内の通勤ラッシュの時間帯に片道1時間~1時間半かけて、会社に通わなくてはなりません。
- 保育園へのお迎えに18時頃までには自宅に戻っていなくてはなりません。
- 産休前の深夜帰宅に休日出勤の激務の仕事に耐えなればなりません。
うーん、、、実質これって無理なのでは?っと思いながらも、
会社を辞める?
となると、やはり、今まであった安定的収入が全く途絶えることとなり、流石に先行きが不安です。
特に今の日本社会の構造上、
正社員解雇、派遣社員を増やす方向性…、雇用の不安定化。
一度、女性が仕事を辞めたら、同じようなポジションで再就職は難しい…。
消費税増税、マイナス金利で貯金して資産は増えない…。
子供の教育費用はこれから増えるばかり…。
自分たちが貰うころには年金も当てにならないので、老後の貯蓄も必要…。
やはり、将来のことを考えると、仕事を安易にやめるという選択肢はなかなか取れずにいました。。。
そんな中、娘がちょうど2歳になった2016年1月の新年開けに、主人が私にこう言ったのです。
「なんか、ネットビジネスって稼げるらしいよ。やってみたら?自宅でできるし」
この一言が、私とネットビジネスの出会いの始まりであり、今後の人生を大きく変えることになったのでした。
8.ぷにこ、ブログはじめました!
さて、主人にそう言われて、「わかった。じゃぁなんかやってみるわ」と安請け合いしたものの(笑)
そもそも、”ネットビジネス”って一体何のことなのか??一体何をやるのか全く見当もつかなかった私は、主人を仕事に見送った後、とりあえず、Google先生でこう検索をしてみたのです。
「ネットビジネス やり方」
と。そして調べていくうちに、どうやらネットで自宅にいながらPC一つで稼げる方法があるということを知りました。
どうやら、ネットで稼ぐ方法はいろいろとあるらしい…。
- 株
- FXや投資
- ブログ
- Youtube
- せどり・転売 …etc
フムフム…。
株・FX・投資は知識が必要そうだし、負けたときの金銭的リスクが高そうだからちょっとパス!(実は株と投資は証券会社に口座を開いて、その後もちょっとだけやってます)
せどり・転売はネットだけじゃなくて実店舗を回ったり、発送したりしないといけない肉体低労働が伴うからパス!(後から知りましたが、すべて机上で行える転売もあるみたいです。)
Youtubeはヒカキンさんみたいなクリエイティブな動画作れないからパス!!(後から知りましたが、名前・顔出し・音声もなしでもYoutube動画を作成することで、収入を得る方法もあるそうです。)
でも、直観的に、
ブログだったら、文章書くだけだから、私でもなんかできそう!!!
難しい知識や、専門的なツールなんか必要なく、
自宅でパソコンでネットに繋がってさえすればできる!!!!
初期投資は、ブログでアフィリエイトを始めるための教科書的なマニュアル購入で2万円くらい!
月々かかる費用も月1000円くらいのサーバー費用だけではじめられて、
ほぼ初期投資0で開始可能!!!
(初期の教材費用やサーバー費用などを1日で稼いじゃう方法もありますので、教えちゃいますね♪)
ただ、ブログに記事を1日2~3記事書くだけ!!!作業時間も2~3時間で可能??
それを、3か月続ければ、月に10万円!の収入が得られるようになるだって???
ほほー、やってやろうじゃないか!!!!
と、ブログに挑戦することを決めたのでした。
ちなみに、
「ブログで稼ぐ」という仕組みはとてもシンプルで「アフィリエイト」というものです。
当時、全く知識のなかった私は「アフィリエイト」と聞くと、
「なんか、広告収入…だっけ??ネットとかで稼ぐめっちゃ胡散臭い・あやしいやつでしょ?」
って思っていました。。。実際…。変なページから、クリックを誘導されるて押しちゃうと、わけのわからない広告がババーって開いて、、、びっくり。。。みたいな。。。
過去の私が抱いていたように、
”アフィリエイト=胡散臭い”
と思われている方いらっしゃるかもしれません。
でも、大丈夫です(笑)
アフィリエイトは、全然胡散臭くありませんでした。
私が過去にイメージしていた”胡散臭いアフィリエイト”というのは、今ではすでにほぼ死滅しているような詐欺の手法で、今ネットビジネスで稼せげるブログアフィリエイトの主な手法というのは、
「Google Adsence」というGoogle社が行っているWEB広告によるアフィリエイト
というものです。
Google Adsenceで収入が得られる仕組み
- ブログに記事を書いてアクセスを集める
- ブログにGoogle社が提供するGoogle Adsenceの広告を掲載する
- 訪問者さんが広告をクリックしてくれれば、報酬が発生する!
という3ステップです。ですので、報酬はGoogle社から支払われることになります。
そして、Google Adsenceの広告は、Google社が勝手に最適な広告をブログ訪問者さん毎に提示してくれる仕組みになっているため、こちらがどんな広告を掲載するのか等マーケティングの知識やコピーライティングなどの知識が何もなくても、
本当にただ、
”ブログの記事を書いてアクセスを集めるだけ”
で、収入を得られてしまうのです!
実際に、全くのアフィリエイト初心者の私でも簡単にはじめられました。
9.あれ、本当に稼げた!どんどん稼げた!!!もっと稼ぎたい!!
勢いでブログを開始することになったぷにこです。
数年前に無料のLivedoorブログで日記をつけていた私は、ブログ…、うんなとなくわかるけど…?適度の知識しかなかったので、ブログのアフィリエイトで稼ぐための方法をまずは勉強しようと思い、ある教材を購入しました。マニュアルというか教科書みたいなものですね。
ブログアフィリエイトの教材費用:16,800円!
え、高い??
でも、大丈夫です。
私もこの初期の教材費用は自己アフィリエイトという方法でサクッと1日で稼いでしまいました。この方法は、また別途お教えいたしますね♪(⇒自己アフィリエイトとは?やり方はコチラ)
そして、ブログに記事を書き始めた初月の報酬は、なんと、、、!
500円!!!
えーーーー!?
なんか本当に自宅のPCでブログ書いただけで稼げた!
スゴイじゃん!!!
って気持ちと、
正直、たったこれだけ??
びみょ~~~。
って思いました。
この時、書いた記事数は1カ月で40記事。
土日は作業はお休みで平日に書いていたので、1日2記事のゆっくりまったりなペースでした…。
でも、1記事あたり30分程度でサクっと書いて、1日1,2時間の作業時間で月10万円稼げます!ってきいていたのに、
実際始めたばかりのころは、、、
1つの記事を書くのに、半日以上かかる…。
下手すれば、半日で記事に何を書くか調べて、、、半日かかってやっと1記事書けるくらい…!
と、私の1カ月間の平日の日中を全てつぎ込んで取り組んだものの、たった500円…。
これなら、普通にバイトとか内職した方が稼げるじゃないの?
と疑心暗鬼になったのも事実です。
実際に、ネットビジネスで月5000円も稼げないいる人は全体の95%もいるそう…。そういう人たちはネットビジネスを始めたものの、きっとブログを更新せずに辞めていってしまうんですね。
ネットでは稼げない…
っと、大きな勘違いをして…!
それは、なんて勿体ないことなんでしょうか!!!!
初月500円の収入に、正直、びみょ~~~~。
っとは思いながらも当時のメンターに「3か月間続けることが大事です」と言われたので、まぁ、別に失うものがあるわけじゃないし、とりあえず何事も最初は言われた通りに3か月間は頑張ってみよ~~~。と思い、作業を続けました。
その後の報酬は、正直、自分でもびっくりの成果が上がっていきます。
2016年2月:月収500円
2016年3月:月収9000円
2016年4月:月収9万8千円
2016年5月:月収25万円
2016年6月:月収30万円
2016年7月:月収60万円
2016年8月:月収100万円←New!
あ、遂に主人の月収超えちゃった~~~!!!(笑)
そして、ブログを開始して、3か月も経つころには、
ブログの記事って、
本当に30分で1記事くらい書ける~~~!!!スラスラスラ~。
隙間時間に1記事上げておこ~っと思ってわずか15分で書いた記事が、1日で5000円の収入に!?
別に何も記事を更新しない日でも、勝手にブログがお金を稼いでくれて、日給6万円!?
という、ネットである嘘のような「実績者の声」をまさに自分で実現していくことになります。
10.最速☆月収100万円を7カ月間で達成できた理由
さて、実績を見て頂いてわかるかと思いますが、ブログ開始、僅かに7カ月目で月収100万円を達成しましたぷにこです。
自分で言うのも恐縮なんですが、この開始たった7カ月間で100万円達成したスピード感、、、たぶん、かなり早いっ!!!!・・・方なんだそうです。
さて、私が最速で月100万円を達成した秘訣なんですが、それは常に、
”メンター”
という存在を持ったことです。
メンターというのは、「自分より一歩先で稼いでいる人」で色々教えてくれるような存在のことですね。
(この業界では、コンサルとう用語も使ったりしますね)
だって、会社に入っても新入社員の時に、メンターつきませんでした?
OJTで、決まった教育担当の先輩について、実際の仕事の業務を学びませんでしたか?
ただブログを書くだけではありますが、お金をいただくという立派な「ネットビジネス」であり、アフィリエイトも立派な「ビジネス」です。
なので、仕事のやり方については、
”仕事のやり方(アフィリエイトでの稼ぎ方)をよく知っている先輩に直接教えてもらう”
のが、最も効率的な方法だと言えます。私もそのメンターの存在が、成長スピードをググんとあげてくれた大きな理由の一つです。
11.最後のプレゼントとメッセージ
ここまで、1万文字以上わたるぷにこのプロフィールをお読み頂きまして、誠にありがとうございます。
最後までお付き合いいただいた貴方には、ぷにこからの素敵なプレゼントをお渡しいたしますので、あと少しだけお付き合いくださいませ。
私が、さりげな~い主人の一言から初めたネットビジネスですが、私がネットビジネスで実現したかったことって、本当にたった一つだけなんです。
”自分が親にしてもらったように、娘に金銭的なことで自分の選択肢を狭めてほしくない”
その為に、
小さい子供が家にいて働きに行けない主婦でも!
足が悪くて満員電車の通勤で会社で働けなくても!
”私自身が自分で稼げるようになりたい!”
たったこれだけです。
もちろん、ネットビジネスで稼げるようになってから、
- 家のお掃除サービス頼んで(主人の)家事の時間が減りました♪
- 家族で休日にお出かけする際も、お金のことを気にしなくて済むようになりました。毎週末、子供を連れて外食してます♪♪♪
- おもちゃだってお洋服だって、なんでも好きなものを買ってあげられるようになりました。デパートのブランド品だって怖くない!(笑)
なんて、ちょっとしたぷち贅沢が日常の中でできるようになったし、
何より、教育費&老後資金の貯金ができるようになったので、
家庭内の空気が、スーって明るくなりました!
会社へ復帰???
満員電車に揺られて体に負担をかけながら、残業や深夜休日働いて、どう考えても日常的に子供との時間の確保が難しそうな日々にはもう、、、戻れません!!!(笑)
ネットビジネスなら、
自宅でPC一台ネットに繋がれば1人で簡単作業!
働く時間は自分で決められるから、子供との時間もゆっくりとれます!(お昼寝中と夜寝た後の隙間時間からはじめられますよ!)
満員電車に揺られて1,2時間かけて通勤する必要全くなし!
激務の会社で身体的にもギリギリな働き方をしなくてもいい!疲れたらベットでごろん~。
わずらわしい人間関係も全くなく、一人でサクっと稼げちゃう!
こんないい仕事あったんだ!!!
それで月100万円稼げるなんて、凄くないですか?
もちろん、作業量によって稼げる金額は変わってきますが、誰でもきちんとやれば、3か月で月10万円はコンスタントに稼げるようになります!!
今の生活に月10万円プラスされたら…、どうですか?
子供の教育費の心配をしなくてもすむようになりませんか?
子供だって、2人目、3人目だって考えられるようになるかも?
子供が小さいからって仕事を辞めてしまったけど、ローンは共働き換算で返済に不安はありませんか?自宅のローン、繰り上げ返済できちゃったりしませんか?
夫の稼ぎが一本頼み、、、今時の会社員って激務で、ご主人の体調も不安がありませんか?もう少し、気を楽にしてあげたいって思いませんか?
小さい子供がいるママだって!
親の介護に忙しい主婦だって!
サラリーマンが副業だって!
自宅でサクッと月10万円、稼げるようになりますよ!!!
その為のお手伝い、私がさせていただきます!!!
まずは、何事もチャレンジで挑戦してみることが大事です!
貴方が本気で稼ぎたいと思っているのなら、今ここで人生を変えるチャンスです!!!
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よーっしゃー、ヤルゾ!!って元気をもらえました。
ありがとうございました。
初めまして
ないないつ‘くしのおじいさんです。
ネットで偶然知った手記で興味を持ち、3ヶ月前にPC操作の勉強から始めました。
手記を書かれた方からの推薦で3点程の教材を購入し、やっとwordpress
の入口に辿りっ来ましたが、いたるところで足踏みしています。
中田さんと云う方のメルマガで知り、読ませて戴きました。
内容からこの人は誇張もせず、真実をありのままに書かれていると感じ
これを記しています。幼少~修士~外資の文脈からそう感じました。
教材の紹介を受けた方等からアドバイスを受けていますが、善良で優れた方からのご指導なら、複数でも失礼にはあたらないと思い記しています。
通常であれば、孫を相手に落ち着いた日々を送られているはずの後期高齢者です。過ぎ去った年月の負の遺産のため、成果への期間を少しでも詰めていきたいと気持ちだけは活きこんでいる現状です。